政治を貫く

 大谷選手が怪我をした。残りシーズンは打者のみに専念するという。それにしても腕を故障しているのに、打者として出場しても良いというのがよく分からない。
 私ごときが言うのもなんだが、打った後に右腕からバットが離れることがかなり多いように見える。故障の影響かもしれない。チーム的には今シーズンは終わっているので、全休すべきというのはマドン前エンジェルス監督の意見だ。将来を考えると休養する方が理にかなっている。チームの勝利ばかり関係するのではなく、偉大な個人記録のために出場を続けているのだ、という意見もある。それもまた真理かもしれない。
 政治家として、今を取るのか将来を取るのかといった選択を迫られるのは、現代社会では多くなったような気がする。自分のことだけ、例えば政治生命がかかっている場合は割と気楽とまでは言わないが、自己の責任において好きに選択すれば良いと思う。しかし国や自治体の将来、国民市民の生命や財産などを鑑みた場合、なかなか容易にはいかないだろう。
 赤字国債をどうするのか、年金や生活保護をどうするのか、箱物をどうするのか、農業維持や減反をどうするのか、この外郭団体を存続させるか否か‥、先を考えると現在を犠牲にせざるを得ないことだらけの時代だ。
 一部の人間に関わることだけなら、比較的判断はしやすいかもしれない。しかし国民全体、市民全体がのしかかるような問題には、それこそ政治家は政治生命を賭けて決断してほしいと思う。もしそこで党や会派が自分の信念に反するような拘束があるならば、自分の政治的生命なんか考えない方がいいと思う。必ずその信念は支援者の枠を越えて有権者に届く。
 郵政民営化の時は届かなかったって?それは民営化亡国の信念が足りなかったのではないか。自分は政治家であり続ける責務があるって?政治生命を過剰に重視する政治家は、じきにその灯火が消えるでしょう。
 大谷選手はただ単に野球が好きなだけだって?それは分かりませんけど。

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