ヤジをどう考えるか

 平気で悪口を言われるスポーツがある一方、選手のマイナス点を言うのがはばかられるスポーツもある。例えば野球のヤジは凄い。甲子園球場なんか、いたたまれなくなるほどだ。サッカーもドジったら、結構言われる。相撲なんか親方連中が解説席で「稽古が足りてないんですよ、日常の心構えも‥」なんて平気で言っている。
 ゴルフの解説者は絶対にそんなことは言わない。卓球はそれ以上だ。選手を褒めてばかりいる。あれほど中国にボロ負けし続けているのに「凄いです、信じられないスーパープレーの続出です」ばかり叫び続けるアナウンサー。
 この違いは何なのだろうか。スポーツ愛好者の気質だろうか。スポンサーの関係もあるだろう。歴史や背景も関係あるのかもしれない。一番の要因は国内におけるスポーツの熟成度だと思う。
 卓球なんか割と頻繁にテレビで放送されているのを見るのは、ここ十年か二十年くらいだ。一方野球や相撲は何十年も前から年がら年中やっていて、見たくもないのにテレビが目に入ってくる。どこからどう見ても、見慣れたスポーツだ。目が肥えてきたとまでは言わないが、「もっとしっかりせいよ」と言いたくなる場面に出くわすこともある。
 何の関係もないのに、市会議員候補者が街頭で「自民党はダメだ。お前なんか誰が応援するか」と言われることがある。例えば閣僚の不祥事が発覚したり、逮捕された直後によくある現象だ。とばっちりはもちろん自民に多いが、立憲候補にも維新候補にもそれはある。多くは反対勢力側の人間だろうから本来どうでもいいが、それなりに気が滅入ってくるものだ。党勢も心配になってしまう。
 これはスポーツにおけるヤジだと思えばいい。本質を突いたヤジには真摯に対応すれば良い。「辞めた閣僚は全く知らない人だが、今回の事件について怒りはあなたと同じだ。だから〇〇のように思うし、〇〇のような政治の改革改善は必要だ」などとキチンとその場で話せば良い。スポーツと違って、政治は多くの場合コミュニケーションが成立する。政治家の一人として、熟成度が高いとむしろ喜ぶべきではないのか。
 ヤジがメチャクチャ過ぎて、コミュニケーションが成立しない場合もある。そんな時でもこちらが損ばかりとは限らない。キチンとした政治家の態度とスタンスは周りの人たちが見ているし、例え誰もいなくてもそれは明日の自分への糧とすれば良い。また一歩、候補者・政治家として成長していける要因をもらったと考えよう。
 現場ではそう言っていられないこともある。そんな時には正当正論でブチ切れてやろう。しかしそこに政治家としてクールな自分がいなければならない。ヤジを養分にするもしないも、結局は自分次第だ。
 卓球のプレーを見るのは好きだが、音声が下らな過ぎてむしろ興醒めする。共産圏の政治報道はさぞつまらないに違いないと気の毒になる。

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