近年の選挙は往々にして若い方が有利だ。有権者はたいした吟味もせずに投票するし、ポスターなど見栄えの良い方に投票しがちだ。しかし小沢一郎氏が先日こう言った。「若いから、女性だからと候補者を選ぶととんでもないことになる」
特に一騎打ちの市長選などの場合、現職市長のジイサンが対抗馬もなく何となく数回当選を繰り返していたが、急に若者に出てこられるとあたふたする。とりわけ名市長というわけではないが、まだ老害という年齢でもなく、多選批判をされるほど当選回数は多くなくとも構図はさほど変わらない。当初は「なあに、あんなポッと出に何ができるか」と侮っていたにも関わらず、戦いが進むにつれ例外なくポイントは徐々に縮まってくる。
そんなケースにはお定まりのパターンがある。必ずと言っていいほど、現職側の用いる戦略が間違っているのだ。有権者の方は苦笑しているが、当人達は全く気づかない。これも選挙七不思議の殿堂入り案件だ。
それは「実績を語りすぎる」「実績を語るに工夫がない」ことだ。最弱の現職市長は、実績しか言わない。これでは有権者の方も嫌気がさす。多分現職市長の周りは同年齢の仲間か家来しかいないのだ。イイ話しか耳に入らないから、こういった悲惨状況が生まれてしまう。
まずは実績を自慢するのは工夫が必要で、実戦的には非常にハードと知るべきだ。道路を作った、道の駅を作った、文化会館を作ったと自慢しても、実際に作ったのは納税者だという観点を忘れてしまっている。
在任中に〇〇を誘致しました、だけでは有権者の心は動かない。「幸い〇〇誘致に成功したが重要なのはこれからで、さらに△△を実現して市民の暮らし向上と共に歩む必要があります」と言わなけば、ただ単にああそうですかと言われておしまいである。これからこそ重要と強調しなければ、現職市長はもう無用だ。
実績は終了のお知らせである。事前予告と言っても良い。だからこそ次の夢につながる何かがなければ、ここから当選を勝ち得るのは難しい。
夢を語る者は受かる。実績を語る者は落ちる。もう有名になって良い選挙格言だと思うが、一向に浸透していかない。
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