差別だ何だのと言葉狩りが増えて、放送禁止用語が異常に増えた頃から「だんだんつまんねえ国になってきたな」と思っていた。初期中期の昭和文学に「その当時の社会的背景を鑑みてそのままの言葉を使用〜」などと、作品を否定しかねない断りが載せられているのはまだ我慢するとして、漫画などは伏字になり、あるいは言葉そのものが変えられている。全てぶち壊しだ。文化への介入は当然のことと大手を振り、ちまちました事まで魔女狩りして民間警察がはびこる。失われるものの大きさに気付いていない。
総理が公邸で、忘年会写真を撮られたと大騒ぎしている。一体何なのだろう。日本人は暇人ばかりになってしまったのだろうか。
官邸ではないのだから、公邸ならば私的プライベート部分がある。そこで総理が何をしていようが大きなお世話だ、などと筋論をここで言うつもりはない。問題なのは、忘年会写真を最大級の攻め所と大はしゃぎしている野党その他の思考形態だ。もっとまともな議論をする気はないのか。尻馬に乗ってさらに騒ぎ立てるマスコミも同様だ。
平和である。北朝鮮や中国、中東諸国やアフリカの議員ならば、忘年会写真どころではないだろう。ウクライナの議員はそれ以上だ。
発言が自由に認められている議員として、もっと別の話はないのか。少子化や人口減に対策を取ってこなかったこととか、子供財源とか防衛増税とか。そもそも「こういう事を主体的目標と掲げ、将来的国の姿を考えていきたい」という話を聞いた事がない。
国会での時間と運営費の浪費としか言いようがない。とても我が国の将来など任せられない。
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