広島出身の友人と酒を飲んだ。一年ぶりだった。互いに高齢の親がいる身、これからの介護その他の話となった。
友人の母親は若い頃はずっと呉市に住み、そこで終戦を迎えた。呉市は海軍の拠点であり空襲にもあった。市内全体が戦場になり多くの市民が犠牲となった。友人の母はその後広島市に居住し、多くの被爆者も見てきたはずだ。
友人の母は、絶対に戦争時代の出来事を口にしないそうだ。友人としては自分の子供や孫などにも伝えたいために聞いておきたいのだが、昔からほとんど戦争の話は聞かされなかった。広島サミットで岸田総理が各国首脳と並び、不戦と平和へのメッセージが伝えられても言葉は無いという。
「たくさんの死を身近で見過ぎてきたから、口にしようとするだけでうんざりしてしまうみたいだ」戦争はまるで無かったものとして親子間ずっと過ごしてきたのは、正しかったのかそうでなかったのか、彼には判断できないとしみじみ言う。何だかこちらまで悲しくなってくるようだ。
戦争ど真ん中にいた人たちの苦労は、この世の地獄に匹敵する体験だったに違いない。話を積極的にする人がいる一方で、口を閉ざしてしまう人もいる。悲劇を潜り抜けた人たち、悲劇の中にいる人たちに気安い言葉はかけられない。
ウクライナが侵攻された時にウクライナの外交関係者をスタジオに呼びつけ「国民の命が何より大切だから降伏しなさい」「ロシアには勝てませんよ」などと言っていた評論家やタレントがいたが、ぬくぬくとした平和の中でエラソーな顔をして何を言っても通じなかっただろう。
憲法九条賛成の人も反対の人も、軍縮論も軍拡論も全て目的としているのは、戦争無き世界、平和だ。軍備はゼロというわけにはいかない。軍拡一路も国際世論の理解を得られない。政治の目的は国民の幸福と平和以外に無い。
今回のサミットを「核を無くす願いを踏みにじった」とする意見もあるようだが、平和を願って各国首脳が結束した意義を考えると、世界の分断だとか中ロを刺激するだとかは減らず愚痴にしか聞こえない。ロシアと関係が深いインドのモディ首相が「解決のためにできることは何でもする」という発言を引き出しただけでも、大いに世界へアピールできたと思う。
選挙は間近だ。
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