国民一人当たりGDPが日本は世界で28位らしい。一つ上の27位はアンドラという国だ。どこのどんな国なんだ、アンドラって。ジャパンアズナンバーワンという本がバカ売れしていた三十数年前は、確か日本はトップか二位ではなかったか?日本は世界的に見ても、家賃とビッグマックが異様に安いという。いつの間にこんな国になってしまったのだろうか。「一人当たりのGDPは実態を示していない」等の屁理屈はこの際どうでもいい。今の40代以下は世界を席巻した日本の隆盛を知らない
それ以前の昭和40年頃、日本は高度経済成長期の真っ只中だった。県庁所在地には大きなビルが立ち並び、新幹線が東西を結び、給料の右肩上がりは当たり前だった。戦争の焼け野原からわずか二十年後のことだ。
それがこの三十数年間もの長期に渡って、国家は衰退の一途だ。いったい政治はこの間、何をしてきたのだろうか。戦後の政治家とここ三十年の政治家は、何が違ってしまったのだろうか。政治家ばかりのせいにするのは多少の疑問が起こらないではないが、それにしても‥‥である。比較して、政治家の総合力、知恵と勇気が三十年に渡って減退し続けたのだと思う。長らくの平和も治安の良さも一定の暮らしの確立も、先人らの努力の賜物だったとイヤでも気付かされる。
国会議員から徐々に大きく国をグランドデザインするパワーが失われてきたのかもしれない。突飛でもいいから、日本のこれからを提示して欲しい。今日明日の案件と目先の選挙で汲々となり、先を見据えたビジョンを創り上げる政治家は今どこにいるのか。まだ自治体の長の方が、未来図を描いている人がいるように思う。政治家がグランドデザインを描いて役人がそれを具現化していたが、今は政治家が目先の具現化を実施して、役人がチマチマとそれを詰めている。
何でもネットで情報を拾えてしまう時代、情報過多が逆にイカれた発想を封じ込めているように思えてならない。選挙も政治も、1人のリーダーが引っ張っていくのはかなり難しい時代になってしまった。
世の中を変えますと言ったって、リアリティーは誰も感じない。じゃあいっそのこと、開き直ってしまうのはどうか。プロデューサー業に徹してしまうのも一つの政治手腕となるかもしれない。そのためには大いに変わった人たちを含めてより多くの人と交わり、より多くのアイディアを取り入れ、時代時代を捉えた社会像を構築していく政策立案はどうだろうか。それを極端にして徹して、さらにスケールを大きくして実験する。試しに相手にされない学者、アウトローな官僚、一度道を踏み外してしまった経営者などで実効力ある審議会を構成してみてはどうか。ワイルドセブンを作って世直しをした構想に似ている。
目先の罰則や単なる補助金ではなく、3世代以上も先の社会を見据えた真新しいプログラムを国民は期待している。
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