選挙戦のしこりとは

フランス大統領選の決選投票を前にして、国民の分断が浮かんでいるという。米バイデン大統領とトランプ前大統領の戦いの時もアメリカ合衆国の分断がマスコミを中心に随分と騒がれた。身近でも時折、特に地方での市長選挙で真っ二つの一騎打ちの後に、「選挙戦のしこり」などと深刻に伝えられる。
 実際選挙戦の激しい地域に行くと、親類縁者同士が激しいバトルの渦の真ん中にいて、血を血で洗うかのような選挙戦が繰り広げられている所がある。市長選ばかりではなく衆議院小選挙区でも、候補者が代替わりした後まで同じ構図の戦いが続き、相手を殺しても飽き足らないかのような憎悪が生じてしまうケースも少なくない。それを避けて選挙戦を真っ向から戦うことをせずに、有力者たちの知恵が生まれるケースも少なくない。知恵と言ってしまえば美しいが、要は「今回お前は降りて現職を推せ。そうすれば次期市長はお前で固めるから」などといった選挙談合だ。
 諸外国の場合は知らないが我が国の場合は、まことしやかに囁かれる市民の分断は、実はさほど深刻ではない。選挙戦で戦った市民〜お隣、近所付き合いでは何事もなかったかのように、あるいは激しかった選挙戦が子供たちの運動会のように面白おかしく語られるなんて風景が実際だ。
 それはそうだろう。いっときの宴、祭りでの戦いだ。実生活は365日、ずっとずっと続いていくのだから。選挙が終わった後々まで、睨み合ってなどいられない。選挙戦程度で住民の総合的結びつきは決壊しないのだ。地域住民を舐めてはいけない。しこりを盛んに論じているのは一部の政治関係者とマスコミだけというのが現実だ。
 政治家だって相手方を露骨に排除し続けていると、政治家としての器を疑われる。ケツの穴の小さい政治家話は足が速い。つまり自分自身の次の選挙に黄色信号がチラつき始める。いつまでも河童の屁みたいにグチャグチャと言ってられないのだ。
 問題はむしろ重要なテーマがあるにも関わらず、選挙後のしこりを盛んに訴えて選挙談合を図ろうとする連中だ。市民不在で暮らし向上そっちのけ、民主主義の消滅した街づくりまっしぐらという未来図が見えて仕方がない。

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