現在のウクライナ戦争で改めて思い知らされたのは、非民主主義国家は昔と違って豊かに見えても、いったん牙をむけば恐ろしい所業に及ぶということだ。マスメディア、SNSを民衆から剥奪しながら、小学生でも分かるようなウソを平然と言ってのける。そうして空恐ろしい事態が粛々と進められていく。頭のいかれたヤツに刃物や銃を自由に持たせて往来を闊歩させているのと同じだ。
通常の国家なのか危ない国家なのか、その境界線は「選挙が公平に公正に行われているか否か」だと考える。通常選挙の無い国には民主主義が皆無に等しい。二人目三人目のプーチンがいつ出現してもちっとも不思議ではない。
我が国にはそんな国家が三つも隣接している。冷戦時代がほのぼのと感じられるくらいだ。集団的自衛権は認められないだの自衛隊を早く無くせなど破格に能天気なことを言っている連中は論外としても、「ウクライナの人たちはさっさと逃げるべきだ」と言っている評論家たちも、頭のネジは大丈夫か。亡国の意味が分かっているのか。家の中に残虐非道な強盗が侵入してきて、蛮行の限りを尽くし自分の娘や恋人が目の前で蹂躙されてもさっさと逃げるのか、こいつらは。そんな光景を目の前にして、悠然と構えて達観していられる人間は逆にすごいと尊敬する。今現在も戦い続けている意思あるウクライナの人々に対して失礼ではないのか。そもそも安全圏からキャーキャー言ってる外の人からの、ウクライナ人の行動に対する無責任な感想は、現場の当事者にとってうるさいだけだろう。
話はぶっ飛ぶようだが、やはり選挙は徹底して公平公正でなければならない。通常選挙こそが平和への道であると思う。
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