連合支援無しに現代後援会組織を見る

 参議院選挙に関して、連合の支援政党無しが正式決定した。これは異例中の異例だろう。連合といえば旧社会党のマドンナブームの時に、驚異的なパワーを発揮した。土井たか子氏は「山が動いた」と雄叫びを上げた。〝連合〟というワードが一般の人々に行き渡った事件だった。
 立憲と共産が連携する事態があったとはいえ、連合という巨大戦艦が「人物重視、地域で判断していく」なんて、字面はきれいでもっともらしく聞こえるが、選挙組織としては戦いを放棄したに他ならない。
 昨年の自民党総裁選の時もそうだった。多くの派閥が総裁候補を一本化できなかった。「考えを押し付けることなく、個の判断を尊重する」だと?冗談を言っちゃいけない。派閥は権力を握るための集合体であり、究極の目標は総裁を作ることだ。
 もう組織の力で大きな目的をどうこうする時代ではないのかもしれない。情報はネットで拾えるし、多くの意見を集められる。スポットテーマでデモが発生することがあっても、長期的な展望に巨大組織が関わるのはすでに終局なのかもしれない。
 一昔前政治家の後援会は、その規模を誇ったものだった。後援会旅行で20台もバスが連なり、大集団で闊歩する議員後援会員は圧巻。賞賛のため息をつきながら他陣営は恐れ慄いた。
 私の持論だが、後援会とは連絡網そのものだ。何も大集団の後援会でなくても、ツール利用で連絡網に匹敵する活動が十分可能になっている。「3000人で組織する議員後援会」よりも「30人の後援会が100ある議員」と言われた方が脅威を感じる。多くの幽霊会員が透けて見える巨大組織よりも、現実的な身のある仲良し隊がたくさんある方が心が伝わりやすいからだ。時代が変われば後援会のスタイルも変わっていくものかもしれない。

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