国民が語らなくなった時

 感染が拡大する大阪府が緊急事態宣言を要請する。東京都も要請を調整している。政府が二度目の宣言を解除して、わずか50日しか立っていない。
 ワクチン接種はまだメドが立っていない。「9月までには供給される」とされていたが、依然不透明なままだ。一説によると、日本のワクチン接種率は世界60位らしい。
 例え9月まで全国民が接種できたとして、ところでオリンピックはいつだ?不思議なのはここまで来て、オリンピック開催の可否を語ることは、何となく『タブー』というムードが漂っていることだ。大マスコミも口を閉ざしているわけではないが、テーマの大きさに比べて出てくる論は極端に少ない。
 語るのはいけないのだろうか?少しでも開催に否定的である人は非国民か?知り合いの国会議員は言った。「無観客だろうが、不参加国が多数だろうが、必ず開催される」知人の大手企業役員は言う。「経済的損失を考えると、財界人は誰もが目がくらんでくるだろう」なるほど、大手マスコミも損失を被るのか。
 オリンピックの可否に関わらず、私が異様と感じるのはこの『タブー感覚』だ。まるでどこぞの国家みたいではないか。それとも戦前か。国が規制してしないだけ、まだマシかもしれないが、無言の圧力は不気味で気持ち悪い。
 与党幹事長が「開催中止も選択肢」と言ったのが、様々に波紋を呼んでいる。賛成派からも反対派からも非難されている。しかしこれ、本来はニュースになるようなことか?選択肢を語っただけではないか。実力者の言葉ということでニュースとなったのだろうが、たいした内容ではないだろう。
 国民が語ることを止めてしまった国家は、民主主義が崩壊し始める。その先にあるのは明確な衰退だ。
 

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