新たなる教育を考えよう

 中学入試が熱い。しかしかなりオーバーヒート気味だ。小学校で全て百点を取っても、並の私立中学には受からない。それどころか年々難易度が増し、数年前の難問がすぐに標準設問となるというではないか。
 詰め込み教育の典型例かもしれない。しかしそれらを否定し切れない部分もある。まともに点数のみのガチンコ勝負は、もう中受にしか残っていないからだ。小学受験も高校受験も、大学受験にすら今や素点以外の推薦や内申〜曖昧な評価といった〝進路研究や指導者の思惑、総合配慮〟が絡んでくる。
 中受に関して小学校課程のテーマをいくら捻っても、もう限界に達しているのだと思う。昔のレベルでのスーパー小学生ばかりになって、基礎問題では差がつけられないのだろう。しかし応用問題ばかり突き詰めていくと、所謂重箱の隅をつつくようになってしまい子供達の持つ可能性の進行を遅らせてしまう。そんなものに費やしていては、子供達の時間がもったいない。
 諸外国のように飛び級をもっと取り入れるべきではないか。アジアでも欧米でも、飛び級を含む才能教育が実践されている。何も諸外国に合わせる必要もないが、このダイバーシティの世の中、遅れを取っているように思えて仕方がない。
 日本では高校一年生まで進まないと、飛び級はできない。友人関係など弊害もあるかもしれないが、メリットの方がはるかに大きいのではないか。
 国が動かないなら自治体が事実上の先行をしても良い。ズバリ「高一で大学に行くための中高一貫校」。全国各地から天才が集まってくる。柔軟で伸長に限界のない子供達の貴重な二年間を、より有効に活かす教育があっても良いだろう。特に理系教育には的確だ。科学技術立国のためにも大いに役立つはずだ。
 新生児が70万人にまで減って、新しい教育を考えるべき時代だ。アニメやメイクやポップスを大学で学べる新メニューだけが、新しい教育ではない。
 

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