サンプル(1) 投票率と世間体
投票率なんぞどうでも良い。
選挙キャンペーン協会関係者で言えば、川上和久先生は一貫して明るい選挙推進協議
会で真剣に投票率向上活動を続けているし、松田さんのように若者の投票率向上に向け
て社会的な活動を行っている人もいる。彼らにしてみれば「ふざけた事を言ってるん
じゃねえ、バカヤロー」だろうし、多くの反対意見はもとより激しい批判があるのも承
知だ。
だが選挙コンサルタントとして長年選挙を間近に見てきた立場として思う。「投票率
なんか高くたって低くたって、それに合わせた選挙をやるだけ」なのである。世論の反
映度という点から考えれば、低いより高い方がいいに決まっている。しかし「魅力のあ
る政党や候補者がいない」「自分一人が投票に行っても行かなくても変わりない」「郵
送や電子メールで投票できるならいいのに」などと言われると、私は(ああ、そうか
い。君は君の人生そのまま生きてくれ)と言いたくなる。多くの世間の大人たちのよう
に、政治参加の大切さや一人一人の力の大きさを説く気にはならない。
例えば首長選挙などで「30パーセントという低い投票率で選ばれた首長は価値がな
い」とか「20代の投票率が低くて、若者の意見が反映されていない」などと話が出る
事もある。昨年12月に行われた福井市長選は23、6パーセント。四人に一人も投票
に行っていない計算になる。福井市長は価値の薄い市長なのだろうか。投票に行かな
かった連中の意思も何らかの形で反映させるべきなのだろうか。
それは投票する気のない奴らに気を使い過ぎと言うものだろう。
そもそも現在の日本の有権者ほど恵まれている者はいない。不在者投票、代理投票は
あるし、在外選挙人名簿への登録も可能。とどめは期日前投票制度の確立で選挙期間中
は毎日が投票日だ。これ以上どう有権者を甘やかせと言うのだろう。アフリカでは与え
られた投票権を行使するため、投票場まで半日ほど歩き数時間待って投票する人達だっ
ているのだ。
榎本武揚は江戸を離れ蝦夷共和国を作ろうと仲間達と海を渡った時、初代総裁に入札
(投票)で選ばれたと言う。入札を行った一人一人には新しい時代を切り拓こうとする
崇高な精神があったはずだ。投票者は厳格な気持ちで榎本に票を投じ、共和国建設を真
剣に願ったのだ。時代の変革者はいつもそうだったろう。(見てきたわけではないの
で、どこまで実話か知りませんけどね)
投票に行くのが面倒だからと放棄する若者達の、将来負担が増えようが年金が無くな
ろうが、ざまあカンカン河童の屁ーっだ。
さて自分の候補者は、投票率が高い方が有利なのか低い方が有利なのかは、事前調査
によって簡単に解る。かと言って個人の思惑や一人のコンサルタントの力だけで投票率
を極端にどうこう出来るわけではない。ではどうするか。
大雑把に言って高い方が有利な時は活動をより薄く広く持っていく。いわゆる地上戦
よりも空中戦の重視度を高めていく。そのため対象者をしぼった選挙PRグッズを多種
類作成する。より地区分けを細分化、年齢別ターゲット、職能分類別など、媒体種類を
増やしていく。そして選挙の土俵、すなわち争点を「右か左か」「いいか悪いか」とい
うように乱暴であっても極端に、当初の設定以上に、さらにさらに明確な物に作り上げ
ていく。
低い方が有利な場合はその逆だ。ある時期を超えたら徹底的に組織内投票率を上げる
活動に重点を移していく。
とは言え、選挙コンサルタントのドアを叩く候補者は、投票率の高い方が有利な人が
圧倒的に多い。候補者は調査前にそれを肌で感じていて、人によっては一発芸に頼り過
ぎる傾向の候補者もいる。そういう人には逆に、地道な地場活動〜地上戦の大切さを説
き理解してもらうようにしている。
ここ十年位の実感としてではあるが、投票率が低くても組織重視型候補者が大きく有
利だとは思えない。低投票率の中にも想定以上の浮動票や愉快犯がいるのだ。逆に高投
票率の場合は、組織重視型候補ははっきりと不利だ。
だから現場的な感覚では、まずは投票率なんかどうでもいいのだ。(自分のクライア
ントが投票率の高低でどう有利不利に働くか)選挙コンサルタントの私は、投票率を分
析するだけである。
「投票率が高いといいですねえ」
マスコミの人間や有識者としゃべる時は、私だってそれくらいは言う。それが大人の見
識であり世間体と言うものだ。
投票率の高低じゃなく、選挙結果だけが民意だ。しかし選挙に携わる人間の一人とし
て、総論としては(いい加減な気持ちで、テキトーな投票をしてもらいたくない)とい
う方が正直なところだ。
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